所詮

ヒトわ身勝手でしゅ
ヤサシサを利用しゅりゅだけちたら
後わ無関心
おいらにょクルシミを知ろうともちない
おいらにょ痛みが自らにょ痛みになりたくにゃいから
愛想笑いでお茶を濁す

おいらにょヤサシサわ湯水の如く無限だとも?

ヤサシサと引き換えに
おいらにょココロわ枯れていく
誰もおいらにょココロに
ぬくもりを満たしてくれにゃい

結局、おいらわ利用されりゅだけにょ存在

Published in: on 2012年6月4日 at 9:10 pm  コメントする